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班田収授法(はんてんしゅうじゅほう)

最終更新:2026/4/11

唐の均田制を参考に、日本で導入された土地制度。農民に土地を分け与え、収穫の一部を税として納める。

別名・同義語 均田制口分田

ポイント

律令制下における農民の自作地確保と国家財政の安定化を目的とした制度。しかし、次第に貴族や寺社による土地の私有が進んだ。

班田収授法の概要

班田収授法は、723年(天保元年)に聖武天皇によって施行された土地制度です。それまでの土地制度が不明確であったこと、農民が土地を持たず、収穫を納める義務を負うだけだったことから、農民の生活が不安定であったという背景がありました。班田収授法は、唐の均田制を参考に、農民に土地を分け与え、その土地を耕作させて収穫の一部を税として納めるというものでした。

班田収授法の目的

班田収授法の主な目的は、以下の3点です。

  1. 農民の自作地確保: 農民に土地を分配することで、生活の安定を図り、生産意欲を高める。
  2. 国家財政の安定化: 農民からの税収を安定させ、国家の財政基盤を強化する。
  3. 律令制の確立: 律令制に基づく国家体制を確立し、中央集権体制を強化する。

班田収授法の実施

班田収授法は、全国の耕地を均等に分け与えるという理想のもと、8年間かけて実施されました。具体的には、口分田(くちぶんでん)と呼ばれる一定の面積の土地を、農民に割り当てました。口分田の面積は、その地域の土壌の肥沃度や気候条件などを考慮して決定されました。農民は、口分田を耕作し、収穫の一部を年貢として国家に納める義務を負いました。

班田収授法の限界と衰退

班田収授法は、当初は一定の効果を上げましたが、次第に限界が見えてきました。その主な原因は、以下の通りです。

  1. 貴族や寺社の土地私有: 貴族や寺社が、様々な手段で土地を私有するようになり、班田収授法の精神が損なわれた。
  2. 墾田永年私財法: 747年(天平勝宝元年)に墾田永年私財法が制定され、農民が未開墾地を開発して私有することが認められたため、土地の集中が進んだ。
  3. 税制の複雑化: 律令制の税制が複雑化し、徴税が困難になった。

これらの要因により、班田収授法は次第に形骸化し、10世紀頃には完全に衰退しました。その後、荘園制度が発達し、土地制度は大きく変化しました。

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