サライェヴォ事件(さらいぇぼじけん)
最終更新:2026/4/12
1914年6月28日、ボスニア・ヘルツェゴビナのサライェヴォで、オーストリア=ハンガリー帝国皇太子フランツ・フェルディナント夫妻が暗殺された事件。第一次世界大戦の直接の引き金となった。
ポイント
この事件は第一次世界大戦の直接的な引き金となり、ヨーロッパ全体を巻き込む大規模な戦争へと発展した。
サライェヴォ事件の概要
1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナンドとその妃ゾフィーが、ボスニア・ヘルツェゴビナの州都サライェヴォを訪問中に、セルビア人青年ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺されました。この事件は、第一次世界大戦勃発の直接的なきっかけとなりました。
事件に至る背景
事件の背景には、バルカン半島における民族主義運動の高まりと、オーストリア=ハンガリー帝国とセルビアの関係悪化がありました。オーストリア=ハンガリー帝国は、ボスニア・ヘルツェゴビナを1908年に併合しており、セルビアはこれを認めず、ボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人住民を支援していました。また、セルビアは「大セルビア」構想を掲げ、バルカン半島のセルビア人居住地域を統一しようとしており、オーストリア=ハンガリー帝国との対立を深めていました。
暗殺を実行したガヴリロ・プリンツィプは、セルビア人秘密結社「黒手」のメンバーであり、ボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人住民の独立を主張していました。黒手は、セルビア政府の支援を受けて活動しており、事件の背後にはセルビア政府の関与があったとも言われています。
事件の経過
皇太子夫妻は、サライェヴォ訪問中に、爆弾を投げつけられるなどの襲撃を受けましたが、軽傷で済みました。しかし、その後、予定を変更して病院を訪問した際に、ガヴリロ・プリンツィプによって銃撃され、夫妻は死亡しました。
事件後の展開
オーストリア=ハンガリー帝国は、セルビア政府が事件に関与したとして、セルビアに対して最後通牒を突きつけました。セルビアは、最後通牒の要求の一部を受け入れましたが、オーストリア=ハンガリー帝国はこれを不十分と判断し、セルビアに宣戦布告しました。これに対し、ロシアがセルビアを支援し、ドイツがオーストリア=ハンガリー帝国を支援したことで、ヨーロッパ各国が同盟関係に基づいて次々と参戦し、第一次世界大戦が勃発しました。
事件の評価
サライェヴォ事件は、20世紀の歴史を大きく変える出来事となりました。この事件がなければ、第一次世界大戦は勃発しなかった可能性もあり、その後の世界史の流れも大きく異なっていたかもしれません。
ドイツがオーストリア=ハンガリー帝国を支援して宣戦布告したことにより、各国の同盟関係が連鎖的に発動し、第一次世界大戦へと突入していった。
トリア=ハンガリー帝国と同盟関係に基づきロシアに宣戦布告したことで、戦火は世界大戦へと拡大していった。