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キューバ危機(きゅうばきき)

最終更新:2026/4/16

✓ 監修済み

1962年10月、ソ連がキューバに核ミサイルを配備したことで生じた、アメリカとの対立による核戦争の危機。米ソ冷戦期における最も緊迫した事態の一つである。

別名・同義語 十月危機キューバ封鎖

ポイント

冷戦時代における米ソ間の緊張が極限に達した事件であり、その後の軍縮交渉に大きな影響を与えた。世界が破滅の淵を覗き込んだ出来事として知られる。

キューバ危機の勃発

1962年10月14日、アメリカのU-2偵察機がキューバでソ連の核ミサイル基地の建設現場を撮影しました。キューバはアメリカからわずか90マイル(約145キロメートル)しか離れていないため、このミサイル配備はアメリカにとって直接的な脅威となりました。ジョン・F・ケネディ大統領は、国民に対しテレビ演説を行い、ソ連のミサイル配備を公表し、キューバへの海上封鎖(検疫)を発表しました。

米ソ間の交渉と緊迫

ソ連のニキータ・フルシチョフ首相は、アメリカのトルコへのジュピターミサイル配備に対抗するための措置であると主張しました。アメリカは、キューバからのミサイル撤去と引き換えに、トルコのミサイル撤去を秘密裏に提案しました。この間、アメリカ海軍はキューバ周辺で海上封鎖を実施し、ソ連のミサイル輸送船との対峙が繰り返されました。世界は核戦争の危機に直面し、緊張は極度に高まりました。

危機回避とその後

10月28日、フルシチョフ首相は、アメリカのトルコからのミサイル撤去の約束を受け入れ、キューバからのミサイル撤去を決定しました。これにより、キューバ危機は回避されました。しかし、この危機は、米ソ間の相互不信を深め、冷戦の激化を招きました。また、キューバ危機を教訓に、米ソ間では直接的な連絡手段である「ホットライン」が設置され、核戦争の偶発的な発生を防ぐための努力が続けられました。

キューバ危機は、冷戦史における重要な転換点であり、核兵器の脅威を世界に認識させた出来事として、現在でも研究され続けています。この危機は、外交交渉の重要性と、核兵器管理の必要性を改めて浮き彫りにしました。

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