ハンムラビ法典(はんむらびほうてん)
最終更新:2026/4/12
古代バビロニアのハンムラビ王が制定した法典。「目には目を」という同害報復の原則で知られ、現存する世界最古級の法典の一つとして、法制史および歴史学上極めて重要な資料である。
ポイント
紀元前18世紀頃に制定されたメソポタミアの法典。「目には目を」という復讐刑の原則(タリオーン)が特徴。
ハンムラビ法典の概要
ハンムラビ法典は、古代バビロニアの第6王朝を築いたハンムラビ王(在位:紀元前1792年 - 紀元前1750年頃)が制定した法典です。紀元前1754年頃に制定されたと考えられており、アッカド語で楔形文字によって記されています。法典は、高さ約2.25mの黒閃石(ディアバイト)製の石柱に刻まれており、現在ルーブル美術館に所蔵されています。
法典の内容
法典は全部で282条からなり、刑法、民法、商法、家族法など、当時の社会生活のあらゆる側面を網羅しています。内容は、身分制度を反映しており、自由民、奴隷、女性など、身分によって処罰や権利が異なっていました。特に有名なのは、「目には目を、歯には歯を」という復讐刑の原則(タリオーン)を定めた条文です。しかし、実際には、復讐刑は貴族に対してのみ適用され、平民に対しては金銭的な賠償が科されることが多かったとされています。
法典の発見と解読
ハンムラビ法典は、1901年から1902年にかけて、フランスの考古学者ジャック・ド・モルガンによって、現在のイラン領スーサ(古代エラムの首都)で発見されました。発見当初は、法典の重要性が認識されていませんでしたが、その後の研究によって、古代メソポタミアの法制度や社会構造を理解するための貴重な資料であることが明らかになりました。法典の解読は、アッカド語の知識を持つ研究者によって進められ、1930年代にはほぼ解読が完了しました。
法典の意義
ハンムラビ法典は、古代世界における法典の最古級のものの一つであり、その後の法制度に大きな影響を与えました。法典は、王権による統一的な法秩序の確立を目指したものであり、社会の安定と秩序維持に貢献しました。また、法典は、当時の人々の価値観や倫理観を反映しており、古代メソポタミアの社会や文化を理解するための重要な手がかりとなっています。
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