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アヘン戦争(あへんせんそう)

最終更新:2026/4/11

19世紀、イギリスが清に対して行った2つの戦争。アヘンの貿易を巡る対立が主な原因。

別名・同義語 鴉片戦争第一次アヘン戦争第二次アヘン戦争

ポイント

不平等条約の始まりであり、清の衰退と列強による中国分割のきっかけとなった重要な出来事である。

アヘン戦争の背景

アヘン戦争は、1839年から1842年までの第一次アヘン戦争と、1856年から1860年までの第二次アヘン戦争の2つを指します。その根源は、18世紀以降のイギリスによる中国との貿易不均衡にありました。イギリスは、中国からの茶、絹、磁器などの高級品を求めていましたが、中国側はイギリスからの工業製品にほとんど関心を示しませんでした。そのため、イギリスは銀の流出を防ぐため、インドで生産されたアヘンを中国に密輸するようになりました。

アヘンは中国国内で急速に広まり、社会問題を引き起こしました。アヘン中毒者が増加し、社会の秩序が乱れ、銀の流出も止まりませんでした。清政府はアヘンの輸入を禁止し、1839年に広州でアヘンを没収したことが、第一次アヘン戦争の直接的なきっかけとなりました。

第一次アヘン戦争

イギリスは、アヘンの没収を口実に清に対して軍事行動を開始しました。当時の清軍は、装備や訓練の面でイギリス軍に劣っており、圧倒的な軍事力差が露呈しました。イギリス軍は、蒸気船や近代的な火砲を駆使して、沿岸部の都市を次々と占領しました。1842年、清政府はイギリスと南京条約を結び、香港の割譲、広州、厦門、福州、寧波、上海の開港、賠償金の支払いなどを認めました。

第二次アヘン戦争

第二次アヘン戦争は、1856年にイギリスが広州でイギリス人船員の逮捕事件を口実に再開しました。フランスも清に対して不満を抱いており、イギリスに同盟して参戦しました。第二次アヘン戦争では、イギリス・フランス連合軍は北京を占領し、清政府は1860年に天津条約と北京条約を結びました。これらの条約により、さらに多くの港が開港し、外国人の中国国内での活動が自由化され、キリスト教の布教が認められました。

アヘン戦争の影響

アヘン戦争は、清にとって大きな打撃となりました。領土の割譲、貿易の自由化、賠償金の支払いなどにより、清の主権が侵害され、経済的にも大きな負担を強いられました。また、アヘン戦争は、不平等条約の始まりであり、その後の列強による中国分割のきっかけとなりました。清の衰退を加速させ、近代中国の形成に大きな影響を与えた出来事と言えるでしょう。

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