アパルトヘイト撤廃(あぱるとへいとてっぺい)
最終更新:2026/4/11
南アフリカ共和国における人種隔離政策(アパルトヘイト)を、法的・社会的に解体し、撤廃へ導いた一連の歴史的過程。1990年のデクラーク政権による政策転換から、1994年の全人種選挙実施までを指すことが多い。
ポイント
アパルトヘイト撤廃は、ネルソン・マンデラ氏の解放や、国際社会からの圧力、そして南アフリカ国内の抵抗運動が複合的に作用して実現した。
アパルトヘイトの成立と展開
アパルトヘイト(Apartheid)は、南アフリカ共和国において1948年から1994年まで実施された人種隔離政策です。オランダ系白人が多数を占めるアフリカーナーによって推進され、白人少数派が政治的・経済的・社会的な権力を独占し、黒人、混血、アジア系の人々を差別的に扱いました。具体的には、居住地域、教育、医療、雇用、政治参加など、生活のあらゆる面で人種による分離と不平等を制度化しました。
抵抗運動の勃興
アパルトヘイトに対し、黒人を中心とした抵抗運動が展開されました。アフリカ民族会議(ANC)は、当初は非暴力抵抗を唱えましたが、1961年には武装闘争へと方針転換しました。ネルソン・マンデラはANCの指導者として、抵抗運動を組織し、1964年には国家反逆罪で終身刑を宣告されました。その他、パナフリカン主義会議(PAC)などの組織も抵抗運動に参加しました。
国際社会の圧力
アパルトヘイトは国際社会からも強い批判を受けました。国際連合は、アパルトヘイトを人道に対する罪と認定し、経済制裁などの措置を講じました。各国政府も、南アフリカとの貿易や投資を制限し、アパルトヘイト政権への圧力を強めました。特に、1980年代には、国際的な反アパルトヘイト運動が活発化し、多くの企業が南アフリカからの撤退を決定しました。
アパルトヘイトの撤廃
1990年2月、南アフリカ政府は、ネルソン・マンデラを釈放し、ANCなどの禁止団体を解禁しました。同年、アパルトヘイト関連の差別法が廃止され、人種による分離政策は法的にも終焉を迎えました。1994年には、初の全人種参加による民主的な選挙が実施され、ネルソン・マンデラが南アフリカ共和国の大統領に就任しました。これにより、アパルトヘイトは完全に撤廃され、南アフリカは新たな民主主義国家として出発しました。
撤廃後の課題
アパルトヘイト撤廃後も、南アフリカは多くの課題に直面しています。経済格差、貧困、犯罪、失業などの問題は依然として深刻であり、人種間の緊張も残っています。しかし、アパルトヘイト撤廃は、人種差別と不平等の克服に向けた重要な一歩であり、世界中の人々に希望を与えました。